7歳のノラが小学校に入学した。しかし人見知りしがちで、友だちがひとりもいないノラには校内に居場所がない。やがてノラは同じクラスのふたりの女の子と仲良しになるが、3つ年上の兄アベルがイジメられている現場を目の当たりにし、ショックを受けてしまう。優しい兄が大好きなノラは助けたいと願うが、なぜかアベルは「誰にも言うな」 「そばに来るな」と命じてくる。その後もイジメは繰り返され、一方的にやられっぱなしのアベルの気持ちが理解できないノラは、やり場のない寂しさと苦しみを募らせていく。そして唯一の理解者だった担任の先生が学校を去り、友だちにのけ者にされて再びひとりぼっちになったノラは、ある日、校庭で衝撃的な光景を目撃するのだった……。
本作では、息の詰まるような現代の社会的恐怖について描きたいと思いました。物語の舞台として学校という社会の縮図を選んだのは自然な流れでした。初めての”裏切り”、初めての”恋”を経験するこの”世界”では、小さな恐怖も、小さな悲しみもないように思われています。良い事も悪い事も、学校で経験する出来事は、私たちの心に大きな爪跡を残します。子供時代に私たちの人格は形成され、構築されます。学校への入学は、この人格形成に影響を与え、多くの場合、大人なってからの世界の見方を決定づけるものになるのです。読み書きだけでなく、学校では他者との関係を学んでいくのです。
また、本作では登場人物の内面的変化を通して、周囲に溶け込むことの難しさを描きたいと思いました。学校の共有スペースではノラの視点をカメラが追っていくことにしました。ノラはいじめの被害者である兄を助けたいという思いと、新しいコミュニティーに溶け込まなければならないという義務の間で葛藤しています。行動するよう促す父親と、黙っていてほしいと頼む兄の間で揺れ動き、ノラは忠誠心の対立に囚われています。消えてしまうという恐怖が行動の原動力となり、承認欲求が兄への献身を上回っているのです。ノラは初め兄と強く結ばれていましたが、友達との関係を守るため、ついには兄を裏切ってしまうのです。
ノラの歩む道のりで私の興味を引いたものは、兄がすでにいる学校という新しい世界に入る、まさにその瞬間なのです。こうした新しい状況では、ノラは兄の事を別の角度から認識していきます。兄妹の関係は変化し、兄はもはや頼るべき確固たる道しるべではなくなってしまうのです。世界は広がり、兄妹の関係だけでは個人として存在できなくなる。グループへ所属する事が極めて重要なものとなるのです。他者の視線により学校での居場所が決まっていきます。価値や判断といったものは変化し、様々な様相を見せつけるのです。人生の黎明期を迎え、道しるべやアイデンティティーを求める個人がコミュニティーの一員となろうとします。兄妹の関係を犠牲にしてまで超えようとする倫理的な境界とはいったいどのようなものなのか?ノラが辿る道を通じて、弱さや学びの転換点というものを探っていきたいと思いました。
この物語を書くにあたり、私は学校へ行き、その世界と再び関係を築く必要性を感じました。それぞれの場所、匂い、声が子供時代の感覚や記憶と直接結びついていたのです。何が真実で何が噓なのか、すべてを把握することが難しい世界であったことを覚えています。何気ない言葉がすぐさまとてつもない恐怖に変わることもあります。この場所で生き抜くためには他人にしがみつかなければならないと考えることもありました。大人の目線で振り返ってみると、私は子供同士の関係を観察しながら校庭で多くの時間を過ごしていました。彼らの言葉の美しさ、生命力、ユーモアと孤独や残忍さ、混沌の中で自分の居場所を見つけることの難しさなど、それが混じり合う様子に驚き、楽しんでいました。世間から離れたこの場所では、空間を自分のものにすることで他者との関係が示され、どのように自分の居場所を見つけるか、あるいは与えられた居場所をどのように受け入れるかを学んでいくのです。様々な遊びを通じて子供たちはお互いに対峙し、テリトリーとしての物理的な空間や、人間関係を築いていく空間、そして言語表現の場としての空間を自分のものにしていくのです。
本作は、いじめが出発点となり、仲間外れにされることへの恐怖の根底にあるものを探っています。このような恐怖はこの物語を構成する様々な要素を結びつけており、”解放”という問題の根底にあります。例えば、自由を手にする手段としての友情の問題は、この物語の根幹をなしています。被害者と加害者の間で揺れ動くことなく、コミュニティーに溶け込むにはどうしたらいいのだろうか?実際の姿と偽りの姿をどのように結びつけるのだろうか?規則に従いつつ自分自身であり続け、集団による判断の影響を受けずに自分らしさを保つにはどうしたらいいのだろうか?信念と現実の境目は曖昧になっていくのです。家族を超えて他者に認められたい、のけ者にされたくないという欲求が極めて重要なものとなるのです。
この物語を通じ、恐怖がいかに私たちの世界を見る目に影響を与えるのか、そして信念がいかに現実を変えるのかを示していきたいと思うのです。本作では、ノラは恐怖から兄を用心すべきよそ者と捉えるようになり、ついには社会から消される兄を目撃します。精神的暴力に直面し、ノラは自身の限界と向き合うこととなります。ノラの辿る道のりにおいて、恐怖を乗り越え暴力に抵抗するには、自分自身の限界と向き合う必要があるのです。恐怖から解放され、ノラは他者とは反対の行動をとるようになる。最後まで行動をとり続けることで、ノラは他者の視線から解放されることとなるのです。このような行動により、ノラが物事の流れを変えられることを感じ取ってもらいたいと思います。こうした動きの中で、私たちは再びつながることができるようになるのです。他者と再びつながろうとするこの行動こそ、私の心を動かしました。
ある困難に直面することで、私たちは人生の初めに立ち返り、本質的な弱さと再び向き合うのだと思います。勇気をもってその弱さと向き合うことで、そこから力や自信が生まれると信じています。他者からの決めつけを否定することは人が持つ最大の自由であり、ゆえにアイデンティティーの基盤は強固なものとなるのです。
今、恐怖はかつてないほど強力な武器として利用され、人々の間の隔たりを広げ、人々を自身の内面に閉じ込めようとしている。だからこそ、私は本作が存在する必要性を確信しています。このプロジェクトで特に私を突き動かしているのは、認められたい、のけ者にされたくないという普遍的な欲求を語るだけではありません。観客を学生時代へと戻し、他者と初めての対峙に立ち返らせることなのです。これを成し遂げる最善の方法は、7歳の子供の主観的な表現にとどめ、その子が理解し感じていることを伝えることだと確信しています。演出を通じ、私はある種の過激さを持って、テーマを適切かつ厳密に伝えようとしました。見えるものと見えないもの、語られるものと語られないものの適切なバランスを見つけることが重要となります。それこそが私が信じるものであり、物語の完成へ向けて何年も取り組んだ理由なのです。